古民家で自然を味わう「ぴーすふるファーム」代表・齊藤和平さん

 森林に囲まれた築50年の古民家の庭で、サウナ小屋の煙突から煙が上がっている。ローズマリーやミントなどのハーブを摘んで「デトックスウォーター」を作り、タオルと一緒に並べて、もてなしの準備。サウナから出てきた男性が水風呂にざぶんと浸かって「うわぁ~~!ぴーすさん、これ最高!」と声を上げると、思わず目尻が下がった。

 祖父母宅だった古民家でリトリート(※1)施設「ぴーすふるファーム」を運営し、都会で暮らす現代人が自然の中で「ゆるむ」機会を提供している。平和(Peace)が自身の名前の由来であることから「ぴーすさん」と呼ばれており、屋号にもその願いを込めた。

  古民家があるのは新横浜駅にほど近い市街地の一角の、農地や森林が広がるエリア。餅つきや梅仕事、芋掘り、みそ作りなど、四季を味わうイベントを企画するほか、月に一度はスパイスカレーなどを提供するカフェ営業も行う。敷地の貸し出しも行っており、年間のべ150組がワークショップやリトリートの会場として利用する。

優等生の末に経験した「うつ」

 近くにある、横浜市内の実家で育った。中学受験をして名門中高一貫校「栄光学園」に入学。社会奉仕を理念に掲げる学校で、将来は社会問題を解決する実業家になりたいと考えるようになった。1年浪人し、2013年に九州大学に進学。留学したり、社会問題やビジネスに関する国際的な活動に参加したりと、夢に向けて歩みを進めた。

 ところが、就職活動につまづいた。意気込みと裏腹に、次々届く「お祈りメール」。大学では学部横断型のプログラムに移り、新しい学問分野で卒業論文を書き始めたのだが、教授に「基礎をわかっていない」と厳しい指導を受ける。「就職も卒業もできないかも。こんなこと、かっこ悪くて誰にも話せない__」

 ペンが持てない、電車に乗れない、そして、布団から出られなくなった。「死んだ方がマシ」と、タオルで首を絞めたが、死にきれない。ついにひどいめまいで起き上がることができなくなり、心療内科を受診しに行った。「うつ」と診断された。

 社会のために頑張り、成功することが生きる価値だと信じ、いつしかそうでない自分を許せなくなっていたのだと気づいた。「何もしていなくても生きていていいんだ」。大学には最小限で通いつづけ、ゼミを変えて卒業論文を仕上げた。就職活動にも再挑戦し、19年、同大卒業と同時にパーソナルジムを運営する「RIZAP」に就職した。自己実現を心身の両面からサポートする仕事に惹かれた。

 「百姓のぴーすさん」

 一方で、学生の頃からコーチング(※2)に興味を持っていた。社会人になり実際にコーチングを受けて自分を見つめてみると、次第に「本当は自然の中で自然とともに暮らしたいのかも」と考えるようになっていた。また、副業で人の「コーチ」を行うように。本業の会社員としては、異例の出世を果たした末、コンサルティング会社に転職していたが、22年、独立しコーチングで生計を立てていこうと決めた。

 同じ頃、自身のコーチから山梨県忍野村にある「慧光寺」を訪れるよう勧められた。住職が合宿所を改修して自ら建立したという自然いっぱいの寺院。野いちごがもりもりと育っている中庭には小さなベンチがあちこちに置かれ、手作りのツリーハウスに登らせてもらうと眼前にそびえる富士山を仰ぐことができた。

 誘われて、夏休み中の子どもたちを迎える「キッズキャンプ」を手伝った。富士山に登ったり、ご飯を作って食べたりする中で、子どもも大人も屈託なく自分の意見を述べ、人の目を気にせずのびのびと過ごしていた。「これだ!」と直感した。キャンプの翌日「僕もこういうことがやりたいです」と住職に打ち明けると、農家だった祖父母宅の資源を活かすよう勧められた。「じいちゃん家でできるじゃん!」

 さっそく祖父母宅に移り、古いタンスや大量の不用品を片付け始めた。当時は交際し始めたばかりだった妻の美紀さんは食や農業に関心があり、共に「開拓」する仲間になった。30回ほど軽トラックで不用品を搬出し、約20アールの農地を少しずつ整備。23年、2人で「ぴーすふるファーム」をオープンし、そのままの流れで入籍した。エリートサラリーマンだったはずが、気がつけば1年足らずで「百姓のぴーすさん」になっていた。

 オープン当初は集客に苦労したが、古民家を会場として貸し始めたところ知り合いを中心に利用してもらえるようになった。23年はのべ250人ほどだった利用者は、25年には約3倍の同700人ほどに増加。同年には施設を充実させようと、サウナ建設のための寄付を募った。

 「生活の百の仕事をするのが百姓」と、初めて大工仕事に挑戦。本やアドバイスを頼りに半年ほどかけてヒノキのサウナを完成させた。「次はピザ窯を作ろう」と構想中だ。これまで10回ほど施設を利用したという東京都の40歳代男性は、「自然の恵みがある限り助け合ってなんでもできる、と実感できるのが魅力。いつ来ても『ここにいていい感』がある」と語る。

 

 居心地のいい空気づくりのために「できるだけタメ口で話している」と打ち明けるが、もっと「実家感」のあるどっしりした人間としてお客さんを迎えたいと思っている。25年には長男の肇くんが誕生し子育てに奔走する毎日。自然と家族の温かさの中で自分を磨きながら、おおらかな「みんなのおばあちゃん家」を追求していく。

 (さいとう・かずひら)1994年生まれ。神奈川県横浜市出身。ぴーすふるファームは神奈川県横浜市港北区新羽町4190番。イベントの情報などはInstagram(https://www.instagram.com/peaceful.farm)、問い合わせはHP(https://peaceful.farm)へ。

※1 リトリート…仕事や日常生活から離れて、自然の中などで内省を深め、リフレッシュすること。

※2 コーチング…講習を受けるなどして専門知識を身につけた「コーチ」が対話を通じて内省を促し、自己実現を後押しする手法のこと。


(2026年8月21日 文と写真・柏このか)